SUZUKA4HOURS…Case of Kataoka

こっちの更新は片岡の個人的なことを記録しておきます。

めちゃめちゃカッコつけて,

Case of Kataoka

としときましょうか・・・笑

 

相変わらず長文になると思われますが,お付き合いいただけましたら幸いです。

 

片岡には,バイクに乗り出した頃から夢がありました。

父とその仲間たち「STAR★CLUB」が目指した鈴鹿4時間耐久ロードレースの決勝の舞台に,自分も仲間たちと一緒に挑戦したい。

当時レースはもちろん,サーキットも走ったことない時のことです。

片岡が21歳になるころでした。

 

同時に,今もお世話になっている「Motorcycle pro-shop Rise」との関わらせていただいたことや,「STAR★CLUB」のメンバーを見て,モータースポーツの持つ人を繋げる力や,人を育てる力の素晴らしさを感じて,それを次の世代へ伝えるために何かしたいと思い,平成レーシングを立ち上げました。

 

当時は本当に何も知らず,文字通り夢物語として,鈴鹿4時間耐久ロードレースを語り,実際にその舞台に立てることなど考えもしませんでした。

進路希望の関係で大学院にも進学し,モータースポーツの教育的な力と必要性について修士論文を書きました。

実際に仕事に就き出して,自分の夢と現実の狭間で,流れに負けそうになったことも沢山ありました。

そんな時,今もそばにいてくれている仲間が片岡を鼓舞し,沢山の愛情と,沢山の刺激を与えてくれたおかげで,心の片隅にはずっと夢を持ち続けることができました。

 

ようやくバイクに一生懸命乗れるようになり,改めてモータースポーツのスポーツとしての魅力だけではなく,人を育てていく力を感じ,少し眠りかけていた夢に挑戦する気持ちが少しずつ高まってきました。

そこから鈴鹿サンデーロードレースに参戦するにあたっては,今まで以上に沢山の方にお世話になり,どこか自分とは無縁だと思っていた選手権の世界に足を踏み込むことができました。

 

鈴鹿サンデーロードレースに参戦してからは,沢山の感謝の気持ちと,沢山の出会い,沢山勉強させていただくことができて,ライダーとしてはもちろんですが,一人の人間として,本当に成長させてもらっていると感じています。

2018年には,父と「STAR★CLUB」の繋がりから,鈴鹿8時間耐久ロードレースに挑戦する「TransMap Racing」との関わりの機会をいただき,そこからは片岡一人では抱えきれないものを沢山いただくと同時に,自分の夢の実現に向けてのエネルギーが一気に高まりました。

そして今年,ついに夢の舞台への挑戦を掲げて動き出しては見たものの,正直,片岡一人では全く手に負えないことだらけでした。

ライダーとしてはもちろんのこと,チームを率いる一人としても,何をどうしていけばカタチになるのか。

考えうる,目に付く,気がつくことには全て手を出し,自分なりにがむしゃらに動き回りました。

ただ,今思えば,これが本当に良くなかったと反省しています。

いつの間にか,目の前のことを片付けることだけに精一杯になり,全く周りが見えていなかったように思います。それは挑戦そのものの無謀さとはまた別で,実現に向けてのプロセスとして,自分一人で物事を進めていこうという考え方が問題でした。

もちろん,片岡自身は,周りの仲間に迷惑はかけたくない。という思いで進めていたつもりでしたが,それが本当に「つもり」で終わってしまったのだと思います。

 

実際,ウィークが近づくに連れて,やっぱり辞めようか・・・。みんなに迷惑をかけて,嫌な思いまでさせてするものなのか・・・。自分一人では抱えきれないほど悩みました。

夢の舞台のはずが,挑戦することの怖さが全てを取り込み,何度も何度も,心が折れそうに,というか今思えばすでに折れていた時もあったかもしれません。

本当にみんなウィークに集まってくれるのか。ここまで振り回してきて本当に決勝を走れるのか。走れたとして自分の力が通用するのか。

 

それでも,みんなは集まってくれました。片岡自身が考えていた以上に力を貸してくれました。

 

みんなの姿を見て,やるしかない!!ってスイッチを入れ替え,ウィークに臨みました。

決勝の日も台風が接近,直撃するとのことでしたが,片岡の頭には「中止」の文字は一切ありませんでした。

 

ここまで来たら絶対決勝を走る!!いや,走らなければならない!!

必ずリザルトにチーム名を刻まなければならない!!

 

それしかもう考えることはありませんでした。本番を迎える頃には,チームの仲間たちをはじめ,片岡には十分すぎるほどの方々が,応援をしてくれていて,みんなの夢や希望,期待を勝手ながらありがたく背中に背負わせてもらい,闘うことができました。

 

父は「レースが終わったらこれほど泣けることはない」と言っていましたが,片岡の場合はレースが始まる頃には,みんなへの申し訳ない気持ちと,感謝の気持ちで涙が止まりませんでした。

 

結果的に,沢山のトラブルや台風の影響で,3時間弱でレースは終了し,残念ながらチェッカーを受けることはできませんでしたが,無事完走することができました。

 

個人的には,レースの内容自体も反省点や悔しさが大きく残るレースになりましたが,それ以上に得るものも大きかったかと感じています。

 

レース終了後,まだ全員に確認できているわけではありませんが,数名は「来年必ずリベンジ」を申し出てくれており,その気持ちに本当に嬉しさと,感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

片岡がレースに挑戦し続けられるのも残り僅かだと思いますが,これからも仲間たちが胸を張って,平成レーシングを名乗れるように,力の限り挑戦を続けたいと思っています。

 

長くなりましたが,平成レーシングまだもう少し頑張ろうと思いますので,皆様の更なる応援,よろしくお願いいたします。

 

平成レーシング代表 片岡亮太

 

 

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