ただの僕の長話。

こんばんは。

仕事終わりに少し目が冴えてしまったので夜な夜な備忘録のようにHPを更新しています。

なぜなら,今年は「HP(ブログ)の更新率を上げること。」を密かな目標としているから!!です。笑

今日もふと僕が考えたことについて書いてみようと思います。

いつも通り長文になると思いますが,

僕のレースをするに至った経緯や思いみたいなのについて書こうかなぁと思いますので

暇で暇でしょうがない人は読んでみていただけると幸いです。(笑)


つい先日,Twitterで,チームメイトがハッシュタグ「お前らの好きな出撃シーンを晒せ」というお題で僕たちの「鈴鹿4時間耐久レース」の写真をアップしてくれました。

これ,僕はすごく嬉しくて,改めて鈴鹿4時間耐久レースって僕にとってすごい大切なレースなんだなぁって実感しているところです。

 

正直,僕自身の正直な思いを言ったり,発信したりするのはなかなか怖くて,

どうしてもいつも「どうせ馬鹿にされてんだろうなぁ・・・」って思っちゃいます。

なので,まぁ・・・せめて生暖かい目で見守っていただけると嬉しいです。


僕の親父たちのチーム「STAR★CLUB」はオヤジが20歳頃から僕が生まれるくらいまでの期間,鈴鹿4時間耐久レースの決勝レースを走る為に,一生懸命レースをしていたと聞いています。

僕の親父はライダーではなくメカニックでした。

小さい時から親父の仲間がレースや,練習に行くのに鈴鹿サーキットによく行っていたようです(僕は記憶にほとんどないです。)が,親父からあまりレースの話は聞いたことはありませんでした。

その後も僕は高校卒業までずーっと野球をしていたので,たまに深夜衛星放送でWGPを観る親父を見て,

「こんな同じところくるくる回るもん何がおもろいねん。」と思っていました。

ただ,小学生の頃から「バリバリ伝説」を与えられ,全然わからんなりに鈴鹿4時間耐久レースっていうドラマはかっこいいなぁっていうのは思ってました。

 

そして20歳になる前くらいに,ひょんなことをきっかけに免許を取り,そして「ケビン・シュワンツ」と出会いました。

親父が見せてくれたVHSは,89年WGP第1戦の鈴鹿GPでした。

89年は僕の生まれた年で,遊園地などに何度も遊びに行った鈴鹿サーキットでのレース。

観る前は,「どーせ途中でつまらなくなるんかな・・・」って思ってましたが,その予想は見事に裏切られました。

YAMAHAのウェイン・レイニーとのドッグファイト。

レースのことなんて何にも知りませんでしたが,すごく身体が熱くなって,ワクワク・ドキドキしました。

自分の行ける場所(鈴鹿サーキット)ではこんなレースがあるんだ。

どんな風に見えるんだろう。あれだけ自由自在にバイク操れたらどんな気持ちなんだろう。

僕がサーキットを走ってみたいと思ったきっかけはここでした。

 

成人式を終えて,何人か小学校,中学校の友達がバイクに乗っていることを知りました。

そして,みんなで実際にレースを観にいこうという話になって,鈴鹿サーキットへ行くことになりました。

最初の年は鈴鹿8時間だけ観にいったような気がします。

すごすぎて,何がなんだかわからなかったですが,感動するより,暑さに「疲れた・・・」というのが最初のイメージでした。

 

未だにずーっとお世話になっているバイク屋さんMotorcycle Pro-shop Riseで当時はほんと顔見知り程度だったんですが,

池田貴彦さんが鈴鹿4時間に出場する(もうすでにその時でも何年もキャリアは積まれていましたが)ということで,

その年は鈴鹿4時間耐久を観にいこう。と言うことになり,またまた鈴鹿サーキットへ。

確か2013年だったと思います。

 

今リザルト見て確認しました(笑)。

正解でした。

 

僕は現場に行くまで,なんの予習もせずにいったので,当時鈴鹿4時間耐久知っているライダーは貴彦さんただ一人。

入口でプログラムを買って,すぐグリッドを探しました。

名前を見つけた時の衝撃は今でも忘れません。

 

Pos.1 ゼッケン48 加藤久幸,池田貴彦

 

もうね,社交辞令でもなく,ゴマすりするわけでも無いです。

この時はまだ,貴彦さんもほんと顔見知り程度,

後にめちゃめちゃお世話になる加藤さんなんて全然出会うずっと前でしたが,

もう2人ともたたずまいがめちゃめちゃかっこよかったんですよ。

 

ほんとその辺のアイドルとか芸能人なんか全然相手にならんくらい。

この時秒で加藤さん,貴彦さんのファンになりました。

 

その当時は,もうアジア各国からもライダーが参戦し出してたと思うんですが,

それでも日本人ペアがポールポジションですよ。

しかも唯一知っている人が。

 

全然関係ないのに,無駄に鼻高々になって1コーナー前で観戦していました。

僕が自分以外のレースで鮮明に覚えているのって,ほんとシュワンツのレース何戦かと,このレースくらいってくらい興奮したレースでした。

 

残念ながらレースは途中で貴彦さんが1コーナーでめっちゃ派手に転倒して,すごい怖かったのを覚えています。

でもすごいのはここからで,貴彦さんは1コーナースタンド前を壊れたバイクを押して戻ってきたんです。

クソ暑いのにヘルメットも脱がずに,身体もバイクもボロボロなのに一生懸命バイクを押して戻ってくる姿に震えるほど感動しました。

 

んで,また僕はやめときゃいいのに,スタンドを駆け降りて,貴彦さんに「大丈夫ですか!?」って声かけたんです。

その時貴彦さんは僕を見て「ごめん!!」って言ってくれたんです。

 

私服でいてもクソ暑いサーキットで,フルフェイスのヘルメットかぶって,レーシングスーツも,グローブもブーツも履いて,ほんの今まで全開のスピードで走っていて,転けて,身体もバイクもボロボロで,目一杯の力を振り絞ってバイクを押して帰ってる最中に馬鹿みたいに声かけてきたちょっと顔見知りのクソガキに「ごめん」って普通言えないですよね。

 

だめだ。カッコ良すぎる。なんだレーシングライダーってすげぇ。。。って今でもあの姿は忘れられないです。


【2019年の鈴鹿4時間耐久レース。貴彦さんがレース前に激励に来てくれました。めっちゃ気合い入りました。】

【2020年の鈴鹿FUN&RUN。まさかあの加藤さんとペアを組んでレースを走ることになるなんて。ってほんと夢のような時間でした。】


また,同じような時期に,親父のレース時代の後輩の方がご結婚をされるということで,

ほぼ20年ぶりくらいに当時のチームのメンバーが集まって披露宴をすると,それに親父と僕と来い。と呼んでいただきました。

僕この時まで,フワッと親父がレースしてた。ってことしか知らなかったんです。

だけど,当時のチームメイトと一緒にいる親父は,今まで見たことない姿で,見たことない顔で笑ってました。

親父と会えて,涙する人もいるくらい。そんな友達がいることに心底驚きました。

 

この辺の時期を経て,「レースってその時だけのただの競争じゃないんや。いろんな人たちと,いろんなドラマがあってすごい。僕も,自分たちの仲間と鈴鹿4時間耐久するんだ。」って勝手に決心しました。

 

そしてなーんもわからないまま,地元に帰って友達とジョイフルで深夜までドリンクバーをのんで語り,

「素晴らしい先輩たちが作って,伝えてくれたモータースポーツっていう文化を,自分たちも継承するべきだ。」とわかったようなことを言って立ち上げたのが僕たちのチーム,平成レーシングです。

平成レーシングの「平成」は構成メンバーの年齢層を指すわけではなくて,

当時の仲間は全員平成元年生まれだったので,1年でも先輩は皆「昭和生まれ」なんですが,その先輩方(昭和世代)から僕たちの世代(平成世代)から次の世代(今となっては令和ですね。)へ繋ぐことができるチームにしよう。ということで平成レーシングという名前にしました。

 

それから僕が大学院へ進学する関係で徳島県で過ごしたりして,ほぼ名前だけがあるサークルみたいな感じでしたが,

その間も,今平成レーシングのBOSSをしていただいている飯嶋さんにめちゃくちゃミニバイクで仕込んでいただき,そのおかげで

僕が27歳になる時にようやく鈴鹿サーキットを走れるようになり,鈴鹿FUN&RUNに出場しました。

そして鈴鹿サンデーに出場。

翌年には夢にまで見た「鈴鹿4時間耐久レース」に「平成レーシング&Rise&美吉金属&STAR★CLUB」として参戦することができました。

残念ながら初めてのチャレンジは,台風の影響で赤旗中断となり,チェッカーを受けることはできませんでした。

 

僕はこれからどのようなキャリアを歩めるかは分かりませんが,何があってもこの鈴鹿4時間耐久レースは平成レーシングの仲間とリベンジしたいと思っています。

 

また,この過程の中で,当時親父の後輩がオーナー,マネージャーを務める鈴鹿8時間耐久レースに参戦する

Transmap Racing with AceCafe」とも出会わせてもらい,

僕は今鈴鹿8時間耐久レースもライダーとして走ってみたい。という新しい夢も与えてもらいました。

 

2020年は,新たにライダースアパレルメーカーのUrbanismさんをはじめ,たくさんの企業さん,個人の皆様に僕の夢を応援をしていただき,国際ライセンスへの昇格,そして鈴鹿8時間耐久レースへの挑戦に向けて戦ってきました。

 

僕の実力不足から,2020年は目標を達成することはできませんでしたが,

2021年も継続してたくさんの方々に背中を押してもらえるおかげで僕はもう一年挑戦する機会をいただきました。

 

当たり前の話ですが僕みたいに,なんの才能もないThe 凡人も今まで出会った全ての人たちのおかげで僕には分不相応な夢を追いかけることができています。

本当に思っている以上に長くなりましたが,最後に

 

僕は,ライダーとしてサーキットにいれる限られた時間の中で,

僕みたいな人間を応援してくださる,僕にBETしてくださる全ての人に,

かつて僕が憧れる先輩ライダーから教えてもらった感動を。

モータースポーツの素晴らしさを。

レースのかっこよさを。

レースが持つ,人を育てる力を。

そしてなによりレースの楽しさを。

伝えられるように,証明できるように目一杯頑張りたいと思っています。

平成レーシング 片岡亮太

 

 

 

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